醜い日本人(その1)
今回、娘Suzuranのページ内容に対し、数人の方から反論のメールがあった。
Suzuranは今、私のそばに居ないので私が代わってコメントしたい。
自分の欠点を指摘されて喜ぶ人は余りいない。それを喜べる人はエライ人である。
これは、民族についても言えるのではなかろうか?
以前、ある国を旅行したルポライターが、"この国の××人は知能が低い"という意味のことを書いた。すると××人の猛反発が起こり、××大使館から厳重抗議があった。中曽根氏が首相時代に、アメリカのマイノリティの知的水準が低いと発言した時、彼等から猛反発が起こるという事件もあった。
現在の地球上で知能の高い民族のベスト4は、ユダヤ民族、ゲルマン民族、アングロサクソン人(元は、アングル族、ザクセン族というエルベ川下流域に住んでいたゲルマン民族が民族大移動によってブリテン島に渡ったものだから、アングロサクソン人もゲルマン民族である)、それに大和民族である。だから、ルポライターや中曽根元首相の指摘は正しいのだけれど、正しいから受け入れられるとは限らない。
しかし、地球上を見渡して、自分の欠点を喜んで受け入れる極めて例外的な民族がいる。それが、我が日本民族である。世界の常識では、どの民族も「自分が世界一」と思いたがるのが普通なのに、日本民族のみが何故だか「日本人はダメだ、ダメだ」と思い込みたがっている。以前「醜い日本人」という本が相当売れたようだが、日本以外の国では考えられないことだ。また"自虐史観"などと批判される奇妙な歴史観を生む土壌にもなったと考えられるが、しかし、自民族の欠点を喜んで認めるという、一見異常な民族性は、考えてみると長所ではないだろうか? 諸外国より常に劣っていると考え、諸外国に追い付き追い越そうとする原動力になって来たのではないだろうか?
しかし、日本人の"この民族性"も変化して来ていることを感じる。私が指摘する"日本人の欠点"に対し、年配者は同感を示すのに対し、反発して来るのは決まって若い世代だ。日本の戦後世代が漸く諸外国並みになったということか? こういうことは何も"諸外国並み"にならなくてもいいと思うのだが――。
さて、美の基準は民族によって違うのだから、"日本人が醜い"とは言えない、と反論された方があった。首長族は長い首の女性を美しいと感じるし、太平洋のどこかの島の女性は肥っていればいるほど、美しいとされる。正にその通りで、胴長短足の日本人はそれに劣等感を持つ必要はないのである。分厚い靴を穿いて足を長く見せたり、東洋人の顔立ちを化粧によって西洋人に変える必要はないのである。
アフリカ人の体型、印欧語族の体型、マレー人の体型、世界中の人種を見渡して見て、日本人ほど体型の醜い民族は他にいない。日本人と同じ顔付きをしている朝鮮民族は、足は真っ直ぐに伸びて、女性は胸が豊かで、西欧人に勝るとも劣らない体型をしている。中国人も日本人同様、長細い体をしているが、見て醜い感じはない。多分、短足O脚でないことと、尻が日本人ほど大きくないからではなかろうか?
元アルゼンチン大使の河原崎氏が、日本人の体はホッテントットより醜いと書いたのは、正にその通りである。日本に住んでいると分からないが、ヨーロッパなどで長らく滞在していて、たまに日本人のツアーの集団などを見ると、それが分かる。お尻の位置が白人に比べて一つ分、下にあるのだ。
それに、皆"まっ黄色"である。白人が我々を"黄色人"と呼んだ理由がその時分かった。自分も実はこういう醜い民族の一員なんだなと思い知らされたものだ。
以前、スイス人が私にこう語った。日本人の"まつげ"が好きだ。何故なら、下に向いている。西洋人のまつげは上に向いていて、尊大な性格を感じる、というものだった。なるほど、こういう感じ方もあるか、とびっくりしたものだ。今、私の地方では、"くるりんマツゲ"といって、下に向いているマツゲを上に向けるエステが盛んである。3000円ほどを払って若い女性が飛び付いている。
今、日本の女性の化粧が異常に分厚くなったが、どう言う顔を目標にしているかというと、所詮は白人の顔なのである。一生懸命メーキャップを施してやっとこさ、可愛く見えるようになる日本人はいる。しかし、白人女性はスッピンでも可愛いのである。白人女性はパーティなど特別の時しか化粧しない。白人だけではない。日常的にこれほど化粧する民族は日本人女性だけだろう。日本女性も以前は、普段は化粧しないのが普通だったが、今は、中学生までが教室に化粧道具を持ち込んで、毎日顔の手入れに余念がない。化粧の大好きな沖縄女性などには、一生黒いアザの消えない"黒皮症"にかかった女性が多い。現代の日本女性は異常に姿・形に執着している。
日本人の体は胴長短足O脚だけでなく、仔細な点で、およそ美しいとは程遠い欠点を一杯もっている。
何故これほど醜い体型をもっているのだろうか? 勿論、それは民族の歴史が作り出したものである。長時間、屈んで仕事するという稲作労働と正座と言う座り方がもたらしたものだろう。稲作なら、他民族もやってるではないか、と思われるだろうが、日本人ほど勤勉に、夜明け前から星の降る時分まで毎日、あのムリな姿勢を数千年続けて来た民族はいないだろう。"正座"が日本の歴史で、いつ始まったか知らないけれど、日本人の醜い体型を作るのに寄与したことは間違いない。
どの民族も民族衣装をもっていて、自分の衣装が自分を一番美しく見せるようだ。それは、その衣装が自分に一番ぴったり合っているからであろう。西洋人には、当たり前だが"洋服"が合っている。ロンドンの街中を前方の一点を見据えて、大股でさっそうと歩くイギリス人は確かにサマになっている。
インド女性のサリー姿も美しかった。彼女たちのゆったりした動きとサリーのヒラヒラが実にマッチしている。"似合う"ということが、美しさをかもし出す第一条件だと思うのだが、日本民族は自分に似合うか似合わないかも吟味することなく、自分の民族衣装を脱ぎ捨て、白人の民族衣装を拝借した。
"洋服"というのは、ご存知のように、体の線がモロに出る。体の線がとりわけ醜い日本人が、そんなものを着て美しく見えるワケがない。日本女性が他民族に負けないほどの美しさを出せるのは、"着物"を着たときのみである。何故なら、"着物"は民族の歴史、日本人の体型が生み出したものだからである。
胸や尻の出っ張りが無く、胴長で細長い体型の日本人だからこそ、着物がぴったりと合って美しさを
出すことが出来るのだ。ウエストがくびれて、胸の大きいグラマー女性が着物を着ると、丸で、レスラーが着ぶくれした感じで決して美しくは見えない。従って、一般的には白人女性には着物が似合わないように、日本女性も一部の例外を除いて、"洋服"は似合わないのだ。
痩せたカバや豚を見たことがありますか? 醜いでしょう? 豚のように肥った犬を見たことがありますか? これも醜いでしょう? 豚は太っていてこそ、豚らしくて美しいし、犬は細っそりとしていてこそ、犬らしくて美しい。 体型に合ったものを身に付けたら美しく見えるが、合わないものを付けると逆に醜くなるということをこの機会に是非知っておいて下さい。
民族衣装を脱ぎ捨て、白人の服をマネしたのは、明治の日本人です。あの頃は"鹿鳴館時代"といって白人のやることなすこと何でもマネしましたね。小泉八雲などはそういう日本人をたしなめていましたね。服装はまあ、仕方ないとしましょう。でも、日本の女どもは、今、目を大きくし、マツゲを上に向け、髪を染め、白人の顔を作り出すのに必死になっています。民族の誇りはないのでしょうか?これほど、自分のもっているものに誇りを持たない民族も珍しいですね。
本当に愚かな、恥ずかしいことです。
日本人には日本人だけが持っている美点がある。西洋人と同じ土俵に上がろうとするのは間違っている、とあるドイツ人が書いていました。嘗ては"東洋の君子国"と言われ、白人からも一目置かれていた日本と日本人ですが、今はどうなのでしょう? 日本人の持っていたものが、戦後55年かけて徐々に徐々になくなってしまったように思います。残るのは"利己主義"だけです。利己主義を抑え昇華させるのが、それぞれの国の文化〜民族精神だと思うのですが、それが喪失しかかっている今、個人の快楽を追う利己主義のみが、蔓延しました。
子供の時からほとんどシツケらしいシツケをされずに、育った今の日本人は"アホ顔"をしています。精神性が微塵もない顔をしています。こんな顔ではいくら、着物を着たとしても魅力が出ません。
それでは、"精神性"とは何なのか? と、ココまで書いたところで、ちょうど時間となりました。またの御縁とお預かり〜〜〜。